“○椎名参考人 (中略)ネット権、ネット法といわれるご提案の実演家に関連する部分について、実演家の立場から意見を申し述べたいと思います。
1枚めくっていただきまして、許諾権は実演家にとって最大のインセンティブでございます。許諾権は、実演家がビジネスを行う上で必須のものであるわけですね。実演家は、コンテンツホルダーを含む利用者に対して、自らの実演をライセンスすることによってビジネスを行うわけですけれども、あらゆる商取引がそうであるように、そのビジネスの対価が決定されるプロセスにおいて、許諾権は極めて重要な働きをするわけです。だれしもが今後有望であると考えているネットでのコンテンツ流通について、そうしたビジネス上の基本的な権利について、なぜ実演家は法によって奪われなければならないのかということについて、大きな疑問がございます。
それから、許諾権が奪われれば、実演家は自らの価値を最大化するチャンスを失って、結果コンテンツの消耗を招くと思います。コンテンツは、他の消費財等とは全く異なる価値構造を持っていると思います。それは何かというと、凡庸な1,000のコンテンツの中から、とてつもない購買力を喚起する幾つかのコンテンツが突発的に生まれ出るという特徴を有しておりまして、そこでのサクセスストーリーが次のキラーコンテンツを生み出す最大のインセンティブともなる。通常、このことを「化ける」というふうにも表現するわけですけれども、実演家は自ら出演して化けたコンテンツについて、ネットに流通させる上では何ら交渉する権利を有しないということになります。実演家のネット流通における許諾権を報酬請求権化するということは、そうした価値のサイクルを破壊して、コンテンツの平準化をもたらして、結果コンテンツの大いなる疲弊消耗を招くのではないかというふうに考えます。
それから、許諾権の報酬請求権化は、商取引への行政の介入になってしまうと思います。ネット流通について、実演家がコンテンツホルダー等の利用者との間で、自らの実演に関するビジネスを行う上で、許諾権が報酬請求権化されるということは、行政が実演をめぐるビジネスの一方の当事者に加担することを意味すると思います。そこまでして、コンテンツの安定供給を実現することは、一体だれの利益になるのか。確かに、コンテンツ製作に関するリスクなどはできるだけ負わずに、流せるコンテンツをローリスクで調達したいと考える通信事業者等の利用者にとっては、大いに利益になることと思うんですが、果たしてそのような介入が正当なものと言えるかどうか。国民はコンテンツを疲弊させてまで、コンテンツが安定供給されることを望んでいるんでしょうかということです。
めくっていただきまして、コンテンツホルダーに権利を集中しても利用は円滑化しないと思います。コンテンツホルダーへの権利の集中は、むしろ時代に逆行するものではないかということで、かつてコンテンツホルダーというものはオールリスクを背負うことによって、実演家や様々なクリエーターを専属させて、それらの権利を占有していたわけですけれども、メディアが多様化するに従って専属制度が崩壊し、個々のクリエーターの権利はコンテンツホルダーから解放される方向に推移してきているんですね。それにかわって、契約によってコンテンツホルダーに権利が集約される形が浸透しつつあって、今ここでクリエーターの権利を機械的にコンテンツホルダーに集中させることには何の意味もなく、まさに時代に逆行するものというふうに思います。
また、映画のコンテンツについて、先ほど来少し触れられていますけれども、かつて映画というメディアの影響力が強大であったことの名残として、映画の二次利用について、実演家はその対価を受け取れないというルールが法律に残っております。そのルールが拡大解釈されることによって、一部のテレビ番組を「テレビ映画」と読みかえられて同様の問題が発生しているわけですけれども、今回のネット法においては、その分野においても、ネット流通に関する限り、実演家は適正な報酬を得られるようになるという解釈も成り立つわけです。しかし、こうした問題が、かつてコンテンツホルダーに過度に権利が集中されていた結果、もたらされたものであるという点から考えれば、このようなアプローチは本質的に誤りであるということが言えるんではないかと思います。
それから、コンテンツホルダーはクリエーターに対して圧倒的な優位性を持つわけですね。また、放送事業者については、昨今その寡占状態も指摘され、番組製作者等から番組の著作権の解放を求められたりしております。公共放送という圧倒的な浸透力から来る優位性を持つ放送事業者を初めとして、これらのコンテンツホルダーは総じてクリエーターに対して強い優位性を持つものであって、仮にそれらに権利を集中させても、果たして公正な利益配分が行われるかどうかは疑問でありまして、今回の提案の中でも具体的な方策等が示されておりません。
さらに、そのコンテンツホルダーも、またメディアの一つでございまして、今回ネット権の集中先として挙げられている3種類のコンテンツホルダーは、いずれもネットとは競合関係にある、いわゆる既存メディアに属するものであります。そうした既存メディアにネット権を与えることが、ネットという新しいメディアの発展振興に寄与するなどという考え方は、極めて荒唐無稽であって、特定のメディアに権利を集中させれば、単にそのメディアの権威を維持させようとする方向にしか動かないのが摂理であるというふうに考えています。
ネット流通の阻害要因ということなんですが、ネット権の考え方によりますと、「権利の濫用的な主張のおそれによりコンテンツの流通が阻害される」という表現が使われるわけですけれども、この数年来、そのような主張が一人歩きをしてきた一方で、実際にそのような具体的な事例があるわけではないということが、政府の他の委員会等でも明らかになっていると思います。著作権が犯人であるとする説から始まって、コンテンツホルダー自身が死蔵させているんじゃないかとか諸説があったんですが、この数年来、政府の他の委員会等でも活発に議論されてきた結果、現在では異なる視点が明らかになってきています。
ネットにコンテンツを流通させる上での最大の阻害要因は、ネットにコンテンツを流すことから十分な収益が上がらないという点でございまして、権利者の濫用的な主張などではないわけですね。現に、放送番組の二次利用が進まない原因を検証していく過程において、著作権処理の煩雑さが阻害要因であると主張していたはずの放送事業者の委員から、放送事業者の基本的な立場として、「放送番組の二次利用は、一次利用を棄損するべきではない」との考え方があるという発言までありました。これまでにも様々な放送事業者が、自ら放送番組をネットに流す試みを行ってきておりますが、そこで問題になったのは権利処理の煩雑さなどではなく、ネットに番組を流すことの採算性の悪さという点にあります。採算性が悪い、イコール十分な対価を提示できない、イコール権利処理問題というふうに、堂々めぐりをするわけでありますけれども、放送事業者にしてみれば、ネットに流すなどの努力をするよりはスポンサーをつけて再放送するほうが、よっぽど利益を生むという構造があります。ネットで収益を上げる立場の通信事業者等は何よりもそのことを熟知しておりまして、その結果、コンテンツの安価な確保を実現するために権利者の許諾権の制限を主張するという、全く生産性のない負の連鎖に陥っていると考えられ、今回の提案もその主のバリエーションであるとしか思えません。
そこで、次になぜネットでは採算性が悪いのかという問題でございますが、ここではだれもが知っている事実がございます。すなわち「無料で食べ放題のラーメン屋がある場所に、どのようにすぐれた企画を持ってラーメン屋を開こうとしても、絶対にお客さんは入らない」という厳然とした事実でございます。例えば、自ら放送した番組を放送局はネット上で有料で見せようとしても、動画投稿サイト等で無料で視聴できるものをわざわざお金を出して見ようという人はいないわけですね。ネット上において多くのコンテンツが違法に流通し、そのことにただ乗りしている様々な事業者、事業形態があって、それがもはや常態化しているという状況、そうした問題を何ら解決できないでいるという状況が、コンテンツのネット流通を阻害する最大の要因であって、この問題を解決しないまま行おうとする試みは、すべてつけ焼き刃的なものになるか、また今回の提案のように、だれかに犠牲を強いるというようなものになってしまうと思います。
今回の提案は、そのこと自体は問題点として指摘はしていながら、それに対して何ら具体的な方策も示しておりません。むしろ、そうした面での施策が必要なのであって、米国におけるDMCAなどに学ぶべき点は多々あるのではないかと思います。
最後のページになるんですが、結論として、今回のネット権、ネット法に関する提案をウィン・ウィン・ウィンであると真に受けて賛同する実演家などはおりません。よって、実演家はネット権、ネット法に関する提案に反対をいたします。実演家がネットでの二次利用を望んでいないなどというのは、もはや朽ち果てた都市伝説でありまして、実演家は基本的に対価を得る機会が増大するコンテンツの二次利用を大歓迎する立場にあります。そのために、これまでも二次利用の円滑化に資するために、契約ルールの策定やCPRAや音事協における権利の集中管理化の推進など、様々な努力を行ってきております。今回の提案は、そうした実演家側の取組を無にしかねない、乱暴なものと言わざるを得ないと思います。
さらに、ネットと呼ばれる業界には、ネット上できちんと収益が上がるビジネスモデルを、自らがリスクを負って取り組もうという姿勢が見られないばかりか、コンテンツをより安価に入手するために実演家の許諾権を阻害要因呼ばわりして、その権利を奪うことばかりに血道を上げているという、このような目先のことだけを考えたやり方では、間違いなく結果など出ないし、先ほど来お話ししてきたとおり、コンテンツの疲弊、消耗という極めて深刻な結果をもたらすんではないかというふうに思っています。
よって、実演家は以下の4項目について提言をしたいと思っています。
まず1番目として、権利処理に必須となる権利者情報の保持について、これはコンテンツごとにコンテンツホルダーに、その権利者情報の保持を義務づけるということを法制化する必要があると考えています。これは制度面でのアプローチということになりますが、米国などにおいては、映画のエンドロールなどに見られるように、映画製作者と権利者団体が団体協約等によって権利者情報を共同管理するというような形が見られるんですけれども、我が国においては、権利者団体側の提案に対して、まだまだコンテンツホルダーサイドの十分な協力が得られているとは言いがたい面がございます。権利者不明などの阻害要因をなくすためにも、権利者側の権利者データベースの整備とともに進めていくべきというふうに考えています。
それから、2番目として、同じく制度面でのアプローチとして、米国DMCA法に見られるような、ネット上での様々なルールづくりに関する研究と法制化が必要であると考えています。ノーティス・テイクダウンなど、我が国においてはまだ無策と言える部分で、その米国に学ぶべき点は多いと考えておりまして、動画投稿サイトなどに代表されるネット上で日常化しているフリーライトの問題を、制度や様々な方法を駆使して解決していくことが重要であると考えています。
3番目として、これは民間での取組ということになりますが、何よりも通信事業者等が自らリスクとコストをとってビジネスモデルを確立していくこと、またそれに既存メディアが協力すること、角川さんとグーグルの提携などが代表的なものだと思いますが、ネットと既存のメディアが新たなディールをしていくことによって、新たなビジネスモデルと価値を創出していくことが必要だと思います。また、そうしたビジネスモデルの進捗状況にあわせて、そうしたビジネスモデルごと、あるいはコンテンツごとの契約モデルの拡充も必要であると考えています。そのある種の集約型の契約、権利の集約型の契約モデルの中では、今回のネット権に関する様々なご提案が参考になるんではないかと思います。
以上でございます。”
http://www.kantei.go.jp/jp/singi/titeki2/tyousakai/digital/dai4/4gijiroku.html
一応、椎名氏の主張もピックアップしておかないとフェアじゃないね。省略しつつ一部分を載せようと思ってたのに、結局全部載せるハメになってしまった。たぶん発言のすべてに思い入れがあるんじゃないかと、本人は。
納得出来る部分が半分、反発したくなる部分が半分かな。
旧来の流通を前提に対価対価と言われてもというのが一点。海外でいくつも提案されているビジネスモデルを無碍に拒否しているのは今の日本の権利者(実演家だけとは言わない)だというのが一点。あとは、集中管理をどんどん進めちゃってよと。
もっとも、この種の権利制限の話では実演家が集中砲火を浴びがちなんだよね。ホントはさ、流通を阻害してるのはレコード製作者とか放送局だったりするのにね。
極端な話、ネット権を実演家団体に付与するなんてのもアリだと思う(笑)。レコードも放送も全部。
(極論で書いてるんだから、真に受けないでね。)
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