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ヒューガルデン醸造所:HOEGAARDEN:ベルギービールJapan


ヒューガルデン醸造所:HOEGAARDEN

ヒューガルデン醸造所

住所 Stoopkenstraat 46 3320 Hoegaarden

地域 フラマン・ブラバント州

訪問 1996年10月2日訪問記を見る

2004年10月13日訪問記を見る

2007年3月2日訪問記を見る

オフィシャルサイトhttp://www.hoegaarden.com

ヒューガルデン村とホワイトビールの歴史

ヒューガルデン村の醸造の歴史は1000年代前半にさかのぼります。
ヒューガルデン村の資料館に保存されている文献には、既に1318年にはビールが醸造されていたと記されています。
15世紀にはべガーデン神父がこの地を訪れ、ホワイトビールを醸造し始め、この地区のほとんどの場所でこのビールを飲む事が出来たといわれています。

1709年 当時、 ヒューガルデン村には12の醸造所が存在していた。
1890年 人口2000人に対して過去最大の35の醸造所が出現。(57人に1軒!)
1900年 ピルスナービールとの競合と酒税の引き上げの為、ホワイトビールの醸造所は13ヶ所となる。
1935年 ホワイトビールの醸造所は4ヶ所に減少。
1957年 最後のホワイトビール醸造所であるトムシン醸造所も閉鎖。

ピエール・セリスの登場~ホワイトビールの復活

トムシン醸造所の隣に住んでいた牛乳屋のピエール・セリスは以前よりビール醸造に興味を持っていました。
牛乳屋でしたが、かなりの専門知識も持っていました。
彼は牛の仲買人をしている父親から借金し、廃業した醸造所から設備一式を買ってきて1965年にホワイトビール造りに着手しました。

彼は1400年代にこの村でビール造りをはじめた修道院に敬意を表して、自分の醸造所の名前を「デ・クライス(僧院・修道院)と名づけました。

当初、年配のビールファンが懐かしがって支持してくれると考えていましたが、実際には若者に受けたのです。
ボトルの底の滓を見て、ナチュラルなビールだと思ったのがその理由でした。
口コミでホワイトビールの噂は一気に広まり、デ・クライス醸造所は急速に大きくなりました。

ところが1985年 デ・クライス醸造所は火事で一部が焼失してしまいました。
セリス氏一人の財力では再興することができないほどになってしまったため、インターブリュー社(現アンハイザー・ ブッシュ・インベヴ)の傘下に入ることとなったのです。

ピエール・セリス氏のその後

1992年にアメリカに渡り、テキサスのオースチンにブルワリーを設立。
セリス・ホワイトというベルジャンスタイルのホワイトビールの醸造を開始しました。
ヒューガルデンよりソフトで、少しフルーティーで、フレーヴァーが高いといわれていました。
セリスは、グレート・アメリカン・ビア・フェスティバルで何度もメダルを獲得するなど成功しましたが、
またもや3年後の1995年にミラー社に買収されてしまいました。
ベルギーでは当時のデ・スメッド醸造所とライセンス契約を結びました。

ところが今度は2001年にミラー社が撤退。
その後セリス氏プロデュースのビールは、ヴァン・スティーンベルグ醸造所、シント・ベルナルデュス醸造所などでライセンス生産されています。

2011年4月9日、ピエール・セリス氏は86歳で亡くなりました。

ヒューガルデン・ブランドのその後

1989年にデ・クライス醸造所を傘下におさめたインターブリュー社は、2004年、ブラジルのアンベヴ:AmBevとの会社統合が完了し、「インベヴ:InBev」となった後、2008年にはアメリカのアンハイザー・ブッシュ社を買収し、アンハイザー・ ブッシュ・インベヴとして世界第1位のビールメーカーとなりました。
2005年末にはリストラの一環としてヒューガルデンブランドのビールはヒューガルデン醸造所でなく、1987年に合併した同じインベヴ傘下のジュピレール醸造所で生産されることになりましたが、さまざまな問題が起こったため、2008年6月より再びヒューガルデン醸造所で醸造されることになりました。
残念ながらジュリウス、禁断の果実、グランクリュなどの銘柄は醸造が中止されましたが、ヒューガルデン・ロゼ、シトロンなど、ヒューガルデン・ホワイトをベースにしたジュース感覚の銘柄が発売されています。

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